「達成するまで不可能に見える」これはネルソン・マンデラの言葉だ。この言葉を聞いたとき、「私が才教学園で学んだ事そのものだ。」と感じた。
私が幼稚園の年長の時に、「真のエリートを育てる」という学校の教育理念を聞いて、幼いながらも魅力に感じた覚えがある。あれから九年。もう卒業を迎える。この九年間で感動体験や日常の学校生活から数えきれないほどのことを学んだ。
私はこの才教学園での生活で高いハードルに挑戦することの大切さを身に染みて感じている。特に「さいきょう祭」では毎年先生から高いハードルを突き付けられる。私たちはその高いハードルを超えるために四か月ほどの「努力」をする。特に今年のさいきょう祭はすごかった。高校生の部活で演奏するような曲だったのだ。友達は難しそうだ、と言っていた。もちろん私もそう思ったが、そこまで不安にならなかった。なぜなら今まで八年間、ずっと難題を出されてもみんなで乗り越えてきたからだった。その時に自分の成長を感じた。さいきょう祭は無事成功に終わった。その瞬間に小学校一年生からのことがフラッシュバックされたようだった。楽屋では涙が止まらなかった。このような経験ができたのも今までの積み重ね=「努力」があったからに違いない。
私は本当に「努力」という言葉が好きだ。自分なりに精一杯「努力」しているつもりだったが、それが結果に結びつかず、いっそのことやめてしまおうかとも思った。「努力は必ず報われる」よく言われる言葉だ。しかしかの有名な王貞治はこれだけでは終わらない。「努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。」これを聞いたとき自分が恥ずかしくなった。
「努力」というのは目標達成に向かって心身を労してつとめることである。最近の私の目標はテストでいい点数を取ることはもちろんだが、将来の通過点である「第一志望に合格する」ことだった。私の第一志望校は首都圏の学校だったため今、志論文を書いているのは受験を終えた自分である。
私の父は単身赴任をしていた。私は「この機会に自分の夢に近い学校に行きたい。」と思ったのだ。そのとき両親から勧められたのが第一志望校だった。その学校は当時の自分とはかけ離れ過ぎていた。試しに一回、英語の過去問を解いてみたところ、堂々の十点台であった。その時に諦めようと思った。しかし今まで才教学園で学んできたことを振り返ってみたときに「勇気・諦めない心」という言葉が浮かんだ。その時に「精一杯努力し、チャレンジしよう。」と決意した。
最初は第二志望校の受験だった。合格していた。偏差値からすれば、奇跡ともいえるような合格だった。そこで私は第一志望校に合格するためにさらにラストスパートをかけた。先生は私に「成長した。」とおっしゃってくれた。今までの私だったらもう満足してスパートなどしないと思ったそうだ。第一志望校が受かったときは一時間ほど涙が止まらなかった。「努力してきてよかった、諦めなくてよかった。」その言葉しか出てこなかった。
私の夢は医師になることである。患者はもちろんのこと、その家族も救えるような医師になりたい。頭がいいだけではだめだ。人として優しい心を持って生きていきたい。また、才教学園で学んだ「勇気・努力・諦めない心」を大切にしていきたい。この九年間で得られたものは私の生きる上での重要な基盤を形成してくれた。その基盤を信頼して日々将来に向かって「努力」していく。
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